上条の歴史
上条ブロック西側の再開発(上条・土田地区約43ha)が予定されておりますが、今まで移り変わってきた上条の歴史を、上空から紐解いてみましょう
2022.04 清須市企業立地パンフ (PDF版)
上条ブロックの衛星写真
さかのぼり表記地図名称あり
出典:国土地理院撮影の空中写真
清洲飛行場
※1945〜1950年の衛星写真を参照
清洲飛行場は、清洲町(現・清須市)と甚目寺町(現・あま市)にまたがる地区に存在した大日本帝国陸軍の飛行場です
太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)10月、清洲町と甚目寺町にまたがる約200haの農地に建設されました
昭和20年(1945年)の終戦後、約12年かけて元の農地へと開拓されましたが、現在もわずかに跡地が残っています
甚目寺公民館敷地内には、開拓記念碑が建てられています
昭和20年(1945年)の終戦後、約12年かけて元の農地へと開拓されましたが、現在もわずかに跡地が残っています
甚目寺公民館敷地内には、開拓記念碑が建てられています
清洲飛行場周辺の歴史
- 昭和19年(1944年)3月18日清洲飛行場の建設を発表
- 昭和19年(1944年)10月清洲飛行場の完成
- 昭和20年(1945年)8月15日終戦
- 昭和20年(1945年)~昭和32年(1957年)元の農地へ開拓
- 昭和47年(1972年)4月飛行場跡地に五条高等学校が開校(第1回生の入学式は甚目寺中学校)
- 昭和51年(1976年)飛行場跡地に甚目寺東小学校が開校
- 昭和63年(1988年)飛行場跡地を横断して東名阪自動車道(現: 名古屋第二環状自動車道)が開通
(引用:Wikipedia)